開催を静かに待つボールパーク
百名山・吾妻連峰を望む福島市郊外のあづま総合運動公園。その自然豊かなスポーツパーク内に整備された福島県営あづま球場は、侍ジャパンの勇姿を静かに待ち受けている。あづま総合運動公園は、2011年の東日本大震災の際、原発事故を含む延べ11万人もの被災者を受け入れてきた県北部最大の避難所だった。その場所が7月22日、五輪開会式に先んじてソフトボールの開幕戦の舞台となったのは、被災地の現在を世界へ発信するためでもあった。
その日程や開催地が決まったのは、3年前の2018年7月。以降、あづま球場は全面人工芝にグラウンドを張り替え、外野フェンスのラバーを厚くして安全面を強化するなど、大幅な改修を図ってきた。ブルペンや室内練習場もリニューアルし、改修にかかる費用は県の復興予算をできるだけ使わずスポーツ振興くじの助成金を活用してきた。だが、開幕を半年後に控えた2020年1月、新型コロナウイルスの影響で、中国でのアジア予選やスポーツ大会が相次いで中止に。感染拡大が世界規模となった3月には、東京五輪の1年間の開催延期が決定した。
あれから1年、福島では復興支援への感謝を伝えたいという思いで、五輪ボランティアを志願する人々も多かったが、コロナ渦の収束には至らず、ソフトボール開幕戦の11日前には、一転して無観客での開催が決まった。この地で試合が行われ、「復興五輪」の意義が発信されることに変わりはないが、新調された球場で福島の子どもたちが声援を送るといった夢は残念ながら叶わなかった。
困難な社会状況に対する、選手たちのさまざまな向き合い方
代表選手にとって、有観客試合のほうがより高いモチベーションにつながることは間違いない。だが、どのような状況であっても、スポーツは困難なときほど真価を発揮し、観る者に勇気を与えてきた。
1995年のオリックス・ブルーウェーブは、阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受け、交通網の復旧もままならない神戸でホームゲームを開催。当時、球団では神戸以外の地方球場をホームの代替として開催する話が進められていたが、宮内義彦オーナーはこう決断したという。
「こんなときに神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り神戸でやれ」
この決断は、市民とチームの一体感を生み、オリックスの快進撃と11年ぶりのリーグ優勝へつながる。その優勝は被災地が前に進むための大きな力となった。
福島県桑折町を練習拠点とし、甲子園常連校となった聖光学院は、2011年の東日本大震災と向き合う中で、また別の答えを見出した。震災後は「いま野球をやっていいのか」という葛藤が続き、選手たちはボランティアに携わりながら、人々の気持ちにどう寄り添うべきか思い悩んだ。浪江町の家族が避難所生活を余儀なくされた菅野雄治朗は「好きなことをやらせてもらっている人間が、苦労している人よりいい生活を送っていることが許せなかった」と当時を振り返っている(※)。キャプテンの小澤宏明は、勉強のときも会議室や寮のエアコンを切った。被災者が暑い体育館で避難所生活をしているのに、自分たちがエアコンを使うわけにはいかないと思ったからだ。
「被災地に勇気を与えるといったきれいごとを掲げてプレーするのは違和感がある」
「いま自分たちができるのは、全力で悔いを残さないプレーをすることだ」
地元への強すぎるほどの思いが、球児たちをそうした答えに導いた。
県予選決勝は圧倒的な零封で優勝。だが、聖光学院ナインに派手なガッツポーズや雄叫びはなかった。エース歳内宏明(現ヤクルト)も捕手とグラブタッチの後、口元を引き締めて列に並ぶ。甲子園で度々報道陣に震災の影響を聞かれたときも「いつもどおり頑張るだけ」と冷静に返答し、グラウンドでひたすら勝利をめざした。この年の聖光学院は2回戦で敗退したが、1回戦の日南学園戦では、追いつかれた末の延長10回、16奪三振の熱投を演じた歳内が、自らの右前打でサヨナラ勝ち。被災地の人々の心を熱くさせた。
かつてない状況での五輪。その先に見える景色とは
もちろんウイルスのパンデミックは局地的な震災とは異なり、開催国全体、ひいては世界の人々が抱える困難だ。困難が広範囲で長期間に渡れば、人々の感情や考えもより複雑なものとなり、一方が進展したとしても、他方が取り残されるといった矛盾やフラストレーションが生じてくる。政策が理不尽であればなおさら人の心も荒廃する。そこに来ての東京五輪が賛否分かれる中での開催となるのは仕方のないことだろう。確かな答えは、簡単に見いだせるものではない。
だが、そうした類のない状況下でも、アスリートたちがするべきことは、明確に決まっている。
「めざしてきた東京五輪の舞台を与えてもらえるのであれば、無観客でも画面の向こう側に思いを届けられるよう、精一杯やるだけ」
無観客での開催が決定したとき、国内外の代表選手の多くが、そうした思いを口にした。
侍ジャパンの内野守備・走塁コーチの井端弘和は語る。
「五輪で何を残せるのかと言ったら、自分たちが残せるものは金メダルであることに変わりはない。こうした中で出場させて頂くからには、泥臭くても勝ちに行く。その選手のプレーの中から、野球ファンや野球をしている子どもたちが何かを感じ取ってくれれば」
侍ジャパンをはじめとするアスリートたちは、どんな状況でも、自分を信じ、感謝の気持を背負って、ひたむきに勝利やゴールをめざす姿を見せてくれるだろう。いつの時代でも、アスリートが人々に残してきたものは「魂の復興」にほかならない。史上初の延期、そして初の無観客開催となった異例の五輪。直前まで有観客を前提に復興五輪の準備を進めてきた現場の関係者・ボランティアの方々の思いをつなぐ、熱い闘いを見せてほしい。その闘いを通じて、人々の心が一つになった先に、長く暗いトンネルの出口がある。
(つづく)/文・伊勢洋平
※ 『心が熱くなる! 高校野球100の言葉』田尻賢誉/著(三笠書房)より
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