坂本勇人の2000本安打につながったキャプテンシー
「いつも以上に野球に集中して取り組んだ3、4年だった」
昨シーズン、プロ野球史上53人目となる2000本安打を31歳10ヶ月、史上2番目の年少記録で達成した坂本勇人は、セレモニーの舞台で自身の充実ぶりをそう振り返った。試合数は120試合に短縮されたうえ、坂本自身2ヶ月連続でインフルエンザに罹患したり、PCR検査の微陽性判定でチームを離れたりと、決して万全なスタートではなかった。それでもこの偉大な記録を成し遂げてしまうのが球界のスターたる所以だろう。
元来、大きな故障をしない坂本は、レギュラーに定着したプロ2年目以降、出場100試合を切ったことは一度もない。さらには入団当初から多くの選手を訪ね、貪欲に学び続ける姿勢。高橋由伸や阿部慎之助らの大先輩から野球に対する姿勢を吸収し、自主トレでは他球団の宮本慎也や鳥谷敬を訪ねて守備を磨いた。昨今も山田哲人や昨季の首位打者・佐野恵太ら、年下の選手ともバッティング談義を交わすなど、円熟期を迎えてなお衰えない向上心は、まさに一流の証といえる。
そして坂本の成長には、キャプテンという立場も大きく関わっている。2014年のV旅行中、原監督から突然の指名を受け、26歳でキャプテンに就任して以来、6年間。1年目はヤクルトとの優勝争いの末、2位に甘んじ、2年目〜4年目はカープの3連覇を許した。
「僕がキャプテンになってから優勝できていないことは、プロ野球人生の中でも一番しんどいことだった」
前任の阿部慎之助が8年間で6度ものリーグ優勝を果たしていたことから、キャプテンとしての責任は次第に重くのしかかっていった。だが、チームメイトと積極的に交流を図り、チームの決め事は自分が一番徹底。自身が不調でも明るくつとめてチームを鼓舞し、ファンにも丁寧に対応した。連敗の苦境も自らのバットで幾度となく打開してきた。そんな4年間を経て、坂本は変わった。いつしか坂本は誰からも信頼されるキャプテンとなり、2019年、念願のリーグ優勝を果たしたとき、ジャイアンツは名実ともに坂本のチームになっていた。
「若いときは、自分の調子の悪い良いでおろそかにしている打席も多かったと思うんですが、やっぱりキャプテンになって若い選手が増えてくる中で、そういう姿を見せちゃいけない。一打席一打席に対する気持ちや野球に対する気持ちを大事にするようになりました」
状況が悪いときにこそ問われるリーダーの資質
野球というチームスポーツにおいて、リーダーとはどのような存在だろうか。高校野球の話ではあるが、現在、西武ライオンズの中継ぎをつとめる佐野泰雄投手は、部員20人足らずだった埼玉県立和光高校の出身。リトルシニアでは外野手で、高校入学後に投手に転向したが、2年目の春季大会で完封ショーを演じて県大会へ出場。夏の県予選では18奪三振の活躍を見せ、スカウトの目に留まる存在となった。とはいえ、いくら佐野が突出したピッチャーであっても、もともと無名の公立校。佐野は周囲のエラーに辟易し、チームメイトとの実力差にふてくされることもしばしばだったという。
そうした佐野が変わったのは、やはり敗戦からだ。夏の3回戦は、点が取れないのはまだしも、自身のスタミナ切れで打ち込まれ、1-11という屈辱のコールド負け。佐野は4kgのウエイトジャケットを身につけて毎日走り込み、また、一見、野球には関係ないが、1日に必ず3つのゴミを拾ってメモをとる「1日スリーアウト」活動で、精神修養にも取り組んだ。3年次、キャプテンに就任してからは、挨拶や全力疾走を怠らず、仲間のミスに対しても笑顔で声をかけるようになった。そんな佐野の姿に呼応するかのように和光高校の守備は見違えるほど向上し、佐野が迎えた最後の夏、和光高校はシード校の朝霞高校に勝利する。3本のヒットで得た得点を全員野球でカバーし合い、3-2の接戦を制したその勝ち星は、佐野だけでなくチーム全員が守り抜いたもの。
「自分がやれば、みんなついてきてくれる」
和光高校がめざしながらも欠けていた「和」を、佐野は自らのリーダーシップで体現し、自らもまた大きく成長を遂げたのだった。
プロ野球は、一人ひとりが自立した選手の集まりでもあり、多くの選手は自身の役割を理解し、チームに貢献しようと努力する。チーム事情から戦力補強や他球団とのトレードも行われる。そうした意味で、キャプテンの役割はアマチュアと異なる側面もあるだろう。例えば千葉ロッテやソフトバンク、広島カープはキャプテン制を敷いていない。井端弘和が現役だった頃のドラゴンズもキャプテンは不在だった。
「ただ、もちろん立浪さんのように上から下まで分け隔てなく接して、自然とチームを引っ張ってくれる存在はいましたよね。ある意味、チームが勝っていて調子のいいときはキャプテンなど必要ないのかもしれない。リーダーというのは、チームが苦しいときにどうするかが問われるのだと思います」
“ミスタードラゴンズ”立浪和義の背中を見てきた井端は、リーダーの資質についてそう語る。
チームメイトの心を掴む立浪のリーダーシップは、PL学園時代の逸話にも垣間見られる。後に日本ハムの看板打者となる片岡篤史が、左投手を打てずに悩んでいるのを見た同級生の立浪は、片岡に対しこう提案したという。
「悩むくらいなら、毎朝一緒に落ち葉掃きをしないか」
当初は戸惑い、朝もなかなか起きられなかったが、立浪と2人で落ち葉掃きを続けるうちに晴れやかな気持ちになった片岡は、春の大会に向けてバッティングが向上。3年目にレギュラーの座を不動のものとした。
「状況が悪いときに、どれだけ我慢するか。投げやりにならずに、いつもどおりに頑張れるかで人間の器が問われる」
立浪は、自著『負けん気』の中でそう記している。スポーツはよく「心・技・体」の言葉で表されるが、トップ選手であればあるほど、その雌雄を決するのは「心」にあるのだろう。
(つづく)/文・伊勢洋平
参考文献
『心が熱くなる! 高校野球100の言葉』田尻賢誉/著(三笠書房)
『負けん気』立浪和義/著(文芸社)