Center line 〜センターライン〜
元読売巨人軍・井端弘和氏が、野球にまつわる様々なテーマを、独自の目線で深く語るYouTubeチャンネル『イバTV』を配信中! コラム 〜センターライン〜 では『イバTV』の未公開部分を深堀りし、テーマに沿ってお届けします。
[連載 第66回]
現状からの卒業(後編)
Posted 2023.07.14

高校から大学・プロへ。限界を打破するために自身を変える

「野球を始めてから辞めるまで、フォームを変えたり、バットを変えたり、ある意味で試行錯誤の連続です」
そう井端は野球人生を振り返る。中でも大幅にフォームチェンジを意識したのは高校から大学へ入学したときだ。
「やっぱりバットが木に変わったことは大きい。金属だったら捉えればそこそこ球は飛んでいく。だけど木製だと飛んでくれないので、意識したのは体の使い方ですよね。僕は体が大きいわけじゃないから。端的に言うと、それまで『静から動』だったのを『動から動』に、動きながら体全体を使って打つようになった」

中日ドラゴンズ入団以降も、マイナーチェンジはしばしば行なっていたという。
「フォームを変えるのはシーズン終わっての秋季キャンプや春キャンプが多いと思います。シーズンに向けての課題があってフォームを変えることはあるし、とはいえ、準備しても『ちょっと違うな』というときもあって、そういうときは、シーズン中でもちょくちょく変えているんですよ」

今年は、シーズン開幕前に6年ぶりとなるWBCが開催されたが、侍ジャパンの絶対的エース・山本由伸はWBCを前に左足を上げずに体重移動させる「すり足投法」へフォームを変えたことでも話題を呼んだ。山本はその意図を「体重が右足に残らず、左足に乗せ切れるような、流れのつながる感じを追求している」と語っている。右足に重心を溜めた方が力を出せるイメージがあるが、山本は筋肉で投げる感覚をできるだけ排除し、全身の使い方をテーマとしたフォームチェンジを行なっているのだ。

「あの山本投手のフォームもとっさの変更ではないと思うし、WBCを意識したものでもない。前年シーズンの途中あたりから『こうした方がいいかな』と気付くことがあって、すぐオフに取り組んでいったと思うんです」と井端は言う。もともと力感のない独特のフォームで知られる山本だが、そのきっかけは、やはり高校からプロへ入団した頃のこと。連投するとすぐに肘が張ってしまう山本は、ウェイトトレーニングで出力を高めるアプローチに限界を感じ、プロ2年目でフォームチェンジに着手。身体の協調性を重視するBCエクササイズをトレーニングに取り入れた。

その新たなフォームは、当初こそ「アーム投げ」と揶揄され、「故障しやすくなる」と球団首脳陣からも否定されたが、その2018年シーズンにセットアッパーとして活躍した山本は、先発の一角を担うようになった翌2019年に最優秀防御率のタイトルを獲得。2020年には31イニング連続無失点記録や最多奪三振のタイトルを手にし、結果で周囲の雑音を打ち消した。

一流選手ほど、進化のための変化を恐れない

一流選手ほど、レギュラーに定着後もフォームを頻繁に変えると言われる。
「より良いバッティングをしたい」
「もっといい球を投げたい」
そうした探究心や向上心は一流選手ほど高いのだろう。1シーズン良い結果を残せても、次のシーズン、相手はさらに研究して挑んでくる。現状で満足するわけにはいかないのがプロの世界だ。とはいえ、フォームを変えることは勇気のいることのようにも思えるが、プロで活躍する選手にとってフォームを変える「怖さ」はないのだろうか?

「怖さは、そんなにはないですよ」
そう井端は言う。
「ちょくちょくフォームを変えてはいても、もともとのベースになっているものはあって、そのベース自体を大きく変えるわけではない。もちろんフォームを変えて失敗することもあると思います。けど、すぐに戻れるんですよ。秋季キャンプ、春キャンプとフォームを変えてみて『うーん、ダメだ』と思ったら戻すこともある。もともとリスクを取ってプロ野球選手をやっているわけだから、大事なのは自分を見失わないこと。そこだけです」

投打の違いはあるが、松坂大輔もまた毎シーズンといっていいほどフォームチェンジに取り組む「コロコロとフォームを変えるタイプ」と自認する。その考え方は、井端とも共通するものだ。
「思い切って変えるのはオフだけど、シーズン中にも少し変えたりする。だけど必ず『ここに戻れば大丈夫』といういい形は必ずあったので、2ヶ月、3ヶ月試してみてやっぱり違ったなと思ったらスッと戻れるようにはしていた。それがないと、どっちへ行ったらいいか分からなくなるので、フォームを変えるとき『戻る場所』を作っておくことはとても重要だと思う」(※)

変化に挑む人だけが、社会や人々の価値観を変える

先述の山本由伸にしろ、大谷翔平やダルビッシュ有にしろ、常に第一線で活躍するプレーヤーに共通して言えることは「進化のための変化を恐れない」ことだ。逆に変わることを恐れていては、それ以上、自分もチームも良くなることはない。それは野球という競技だけでなく、私たちの一人ひとりの生き方や、社会的状況にも通ずることだろう。社会や人々の価値観を変えることができるのは、周囲の反対や雑音を恐れず、変化に挑む人間だ。

今でこそ世界の経済を牽引するアメリカは、1776年の建国以降しばらくの間、地域的な分断にさらされ、存続さえ危ぶまれる脆弱な連合国家だった。19世紀には商工業の発達した北部と黒人奴隷に依存した綿花農場が産業基盤だった南部での社会的対立が明確となり、1861年には南部の奴隷州が合衆国からの分離をめざした内戦「南北戦争」が起こる。南軍優勢で戦争が長引く中、奴隷解放宣言を行って国際世論を味方に付け、アメリカ統一を回復したのがエイブラハム・リンカーンだ。リンカーンは北軍勝利の6日後、南部連合の支持者の銃弾に倒れるが、この決断によってアメリカは産業革命を推進。工業国として世界の大国に君臨していくこととなった。

かつて大男の殴り合いだったヘビー級のボクシングを華麗なフットワークで一変させたモハメド・アリは、世論がベトナム戦争を支持する最中の1967年「ベトコンに恨みはない」と徴兵を拒否したことから「裏切り者」と呼ばれ、王座もプロライセンスも剥奪された。だが、全盛期の3年余りを法廷闘争に費やしたアリは無罪を勝ち取り、圧倒的不利と言われたジョージ・フォアマンとの復帰戦に勝利して英雄となった。ボクシング界のみならず社会にさまざまな変革をもたらしたアリは、こんな言葉を残している。
「何のリスクも取れない人間は、人生で何一つ成し遂げることができない」

(了)/文・伊勢洋平

※ 『松坂大輔 Official YouTube』高橋光成との「エース対談」より